断熱性が高く加工しやすい抗火石は、886年の火山の噴火により現出したといわれています。新島では古くから建築・土木材料・日用品の材料として使われてきました。 具体的にいつの時代から村民生活に実用されたかは定かではありませんが、江戸時代〜明治には浮石・剛化石と呼ばれ、火床や火消壷、かまどなどとして使われてきたと言われています。明治の初め頃からは、島の一部の有力者が抗火石を使って石倉などを作り始めるようになりました。明治30年から明治40年頃にかけては厚さ6寸の抗火石を用いた家屋が建てられるようになり、これらの建築物は100年以上経った現在でも新島に現存し、抗火石の風化に対する強さを証明しています。 そして大正元年には元東京帝国大学工科学長の工学博士・渡辺先生により『抗火石』と呼称されるようになりました。 渡辺博士は明治の末期より抗火石に着目し、大正元年抗火石の論文を発表。 抗火石の価値や存在が世間から注目されるに至りました。
抗火石の軒庇
新島の住宅では、屋根や外壁、梁なども抗火石で作られてきました。下の写真の庇は小さい物ですが、開口部に良く見られる庇は出幅600mm、厚さ60mm程度の抗火石の単板を、のみ込みも控えもなくモルタルだけで壁面に接着したものです。島の子供の中にはこの庇の上を駆け回っていた子供もいて、モルタルとの接合性の高さを示しています。